第二次名古屋中古カメラ大バーゲン作戦
損害を被りながらも一定の戦果を得た第一次名古屋中古カメラ大バーゲン作戦だったが、一方でミカワ軍管区の参謀本部では政治局の監視下における2時間の戦闘では不十分な成果であるとする勢力が大きくなりつつあった。特に試験的に確保した500円の映写機のランプ2個が使い物になると判明すると、追加確保すべしとの意見が大勢を超えた。そこで主に映写機のランプを撃破する為と、出品を控えたコンパクトデジカメ義勇軍のテスト撮影を兼ねて、再び名古屋栄方面へ進軍を開始した。
9/25日曜日午後の戦地は閑散としていた。東京首都軍管区の中古カメラ市紛争では、平日初日のブツの他に休日用のブツを用意すると聞いていたが、そういうブツは見つからなかった。つまり第一次作戦で有ったものが残っていないか、有ったものが残っているかであり、無かったものが有るとは確認できなかった。それで予定通り映写機のランプ3個師団を撃破した程度で一度は撤収を決めたのであった。
しかし、我軍の武装偵察隊は無視できない戦略的勢力を発見したのである。それは東京や大阪の外勢力ではなく名古屋民族系ブースだったのだが、「ぜんぶ5000円」のショウケースに更に「50%オフ」のタグが付いていたのだ。見るとショウケースの上にはブラックのニコンFEとかレンズ付きのミノルタRS-7等の60~70年代が5~6個転がり、ショウケースの中にはアグファやノバーの蛇腹カメラ、スタジオデラックスが転がっていた。それだけも戦火を交える価値があるとも思えたが、重要なのはパートと思える初老販売員が「5000円で買ってくれるなら(ショウケースの上に置いてある)カメラを全部持って行っていいよ」と言うのである。この打撃に前線の将兵は動揺したようである。更にショウケースの上の端には当初は見過ごしたマミヤM645_1000S(ボディのみ)を発見したのだ。電子シャッター機なので動作確認は出来なかったが、マミヤのセミ判一眼レフは確保したい高地であったから無視は出来ない。何せ、いつかボディが生えてくるだろうと期待して麓のセコール150河は確保してあるのだ。
そこで高級将校を集め作戦を検討するのだが、何しろ主力の第3UFJ戦車軍は壊滅状態であり、今回の戦闘で集めることができたのは第866ぱるる諸兵科連合軍の一部と第8親衛みずほ空挺師団の最後の残りを主軸にしてはいたが、多くはコムソモール員や極東義勇軍であったから、これらを全て失えば戦闘行動に耐える兵力を短期・中期的に回復するのは、ほぼ不可能になる。作戦は慎重に計画した。まずはマミヤM654とアグファを5000円で買うから、おまけでノバーを付けてくれという作戦で挑んだ。しかし、敵のパート初老将校の防御は厚い。暫く、こう着状態が続くと、「なになに、負けろっていうの?」と権力を持っているらしい高級将校がやってきた。拙僧が「だって電子シャッターのマミヤは動くかどうかも分からないでしょ」と多連装ロケットで攻撃を行うと、「ああ、これ動くよ。電池持ってこようか?」と動揺作戦を展開するのである。「ううっそ、マジい?」と思わず声を挙げてしまう拙僧。高級将校が持ってきた電池はエンプティであったが、我軍の師団摩化の防空ロケット大隊は4LR44を標準で装備しているから自前の電池をつめてみる。するとシャッターが元気に動いたのだ。途端に士気の上がる我軍。「じゃ、あのジャンク駕籠のカメラを2~3個つけてくれるのはどう?」と自走重迫撃砲大隊に援護された1個自動車化狙撃兵連隊を進めると、敵は「ジャンクならいくらでも持って行っていいよ。全部、持って行っていいよ。」と飽和攻撃を展開するのである。「ううっそ、マジい?」と二度目の声を上げると全面戦闘が開始された。
とはいえ、拙僧は小物なので全部持って行っていいと言われると、逆に持って行きづらいのである。なのでボディのみのペンタックス6x7とキヤノンA-1とニコンF60、更にフジカコンパクトを付けた程度である。それだってネットオークションで捌けば、そこそこの金額が動きそうなものである。
この戦いで主力を失った我軍は、以降は50円のリコー一眼レフのケース(おまけにペトリのケース)やFDマウントのシグマ400mmF5.6+聞いたこともないTマウントの200mmF5.6で500円等と散発的な戦闘を行った末にオートタクマー55mmF2を500円で撃破した末に撤収し戦列から離れた。
ミカワに帰国後、レンズを付けて試運転した所、プリズムにうっすら横1線の腐食が見れるものの、AEも動作して2500円としてはブラボーなコンディション。ああネットオークションで8000円超えで無理してビットを入れなくてよかった。
しかし、我軍は壊滅的損害を受けており、年内は「買い」方面の戦闘行動は不可能の状態である。残りわずかな兵力で「撮影・処理・プリント」方面にて防御の陣営を整えることになる。
平たく言うと「年内はカメラ・レンズを買わない」と言うことなのですが、この宣言は何度言ったかなあ。
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コメント
こんにちは、いつも楽しく?拝読させていただいております。
今回も緊張感みなぎる戦いでしたね、今後の成り行き見守ります。
投稿: ma | 2011年9月26日 (月) 13時01分
どもども、ma殿。
拙僧の読み辛いコンテンツにお付き合いありがとうございます。
しばしば、とんでもない勘違いを披露する場合も多いので、ご指摘ください。
あれほどハードウエアの投資はしないと誓ったのに本日はGR10を辛くも確保。
グリップがべとついても1000円では見過ごす訳にはいきません。
本来は実用度の高いペンタックス6x7の吊金具とか、獲得しなければなのですが。
今はマミヤRB67のを使いまわしているのですが、たまに外れるんですよねえ。
投稿: Rikkie | 2011年9月26日 (月) 14時36分
>「年内はカメラ・レンズを買わない」
あはは「一年」と「一ヶ月」を混同してません?(笑)
投稿: nakky | 2011年9月26日 (月) 16時44分
どもども、nakky殿。
そういう意味で言うと、今日も800万画素級のファインピクスとか600万画素級のサイバーショットとかnFD135mmF2.8とか転がり込んできたのですが、これは戦時難民の受け入れと言うか、一種の仕入れなので別腹ですわ。
今日なんて処分の為に物撮りしたりサンプル写真を撮ったりしたら一日過ぎてしまいましたよ。妻が残業でよかったなあ。
投稿: Rikkie | 2011年9月26日 (月) 20時09分
激戦でしたね。
出来る事ならパート将校との戦闘で決めたかったですね。
バケペン持って行ってイイとは太っ腹です。
なるべく中判には手を出すのを控えていますが、あの描写をみるとウズウズしてしまいます。
投稿: KOH | 2011年9月27日 (火) 11時04分
どもども、KOH殿。
左様でございますな。この一戦で優位な条件で和平に持ち込めればベストであったでしょう。指揮官の器量が小さいので浮足立った戦闘経験の無い祖国防衛隊の士気を保つことができませんでした。それでも3000円のプライスタグを付けた6x7とキヤノA-1を拾い上げたのは戦果でした。ちになみに6x7はスローは不良でしたが、1/125以上はひとまず切れたので予備師団への配備としては十分です。
結局、戦果に不十分として再度前線に突入し、多くの血が流れました。パート将軍は実は狡猾なやり手だったかもしれません。拙僧にはカメラに詳しくないという態度でしたが、話し相手が欲しいだけでディスカウントを粘っていた老兵には鋭い指摘をしていましたから。
投稿: Rikkie | 2011年9月27日 (火) 15時40分
相模国三浦郡下の横須賀海軍と米国第七艦隊を毎日のようにみている与太郎です。
だめです。カメラインポになりました。
みるだけです。指をくわえてるだけです。
なんでカメラばかり買うの?こんな病気早くなおればいいのにと思っていた頃が懐かしい。
カメラ病は治ると予後がよくありません。
秋めいた風が心の中を寂しく吹き抜けます。
RB67に100〜200ズームを着けるという意味の希薄な野望はどこへ行ったのでしょうか。
意味は希薄でもよかったんです。
着けてガハハといっていればよかったのです。
いま100〜200用のレンズ架台と蛇腹フードを回らなくする専用金具が寂しく転がっています。
治らなくていい病気もあります。
ですので、公約は反古にしてくださいませ。
10月になったらまた買ってくださいね。
国家元首も入れ替わり立ち替わり公約を反古にしておりますので。。。
投稿: 横須賀与太郎 | 2011年9月28日 (水) 18時56分
どもども、横須賀与太郎殿。
なんと!!イージス艦にも拮抗できる程にブロニカS2を進化させなさった横須賀与太郎殿の波動エンジンの火がお弱りになるとは。三浦半島の安全保障の危機ですな。
実の所、今年に入ってマミヤRB67のレンズは片手の指では足りなくなってしまったのですよ。
ソフト150mmで与太郎殿からの受けを狙っていたのですが。
実は、拾っていないかと言うと拾っているんですよ。1000円のGR10とか。ただ、これは来年度に拾うはずだったものを前倒ししただけの物で、宣言とはまるで矛盾がございません。
困っているのがムービーカメラが増えているんですよね。今日も日立のDVDが増えてしまった。ウサギの豆包と遊ぶ妻くらいしか撮影対象は無いのですが。
投稿: Rikkie | 2011年9月28日 (水) 22時54分