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2011年11月24日 (木)

ユニデン UDC-5M

Dscn6100  拙僧は基本的に時事ネタはブログでは展開しないことにしている。理由は先に書き溜めているので執筆時と公開時でタイムラグがあるののだ。それに「私とトイプードルの日常日記」めいた戦闘的な気分が削がれたブログになると、折角見てくださる方々に失望されてしまうと思う。別に日記系ブログの方を批判しているのではなく、そういう日常的な面白さを伝える才能が無いのだ。でも、気になったことがあるので、しばしお付き合いいただきたい。

 押井守の近年のアニメ批判についてネットでにぎわっているそうだ。拙僧が定期的に見ていたアニメはラムネ&40くらいが最後で、よりによって女子と「劇場版エヴァンゲリオン」を見に行ってしまい、以降、アニメに自ら金を払うことはすまいと誓っている。なので、押井が「現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」と言っていても本当にそうなのかは知らない。ただ、その言葉に幾つかの疑問を感じることが出来る。まず、アニメは現在も一昔も二昔も複製文化である。これは別にアニメが猥雑だからではなく、歌舞伎や落語と言った伝統芸能も然りである。「表現」などという個人の介入が実を結ぶとしたら10のうち2もあれば支持・不支持が明確になって売りづらくなる。1や0.5程度の塩梅が色取りとして花咲く好い加減であろう。伝統的なそばをすする落語も、名人と言われるすすり方で客も納得するのだ。前後するが文化は消費財である。誰もいない劇場で「俺だけの表現」を演じるのは滑稽である。90年代の話だが、押井は映画を3本監督をしたら2本は売れる映画、1本は自分の表現の映画を作らせろと公言していた。そして、2本は確かに面白い映画であったが、自分の表現の方はとても付き合いきれる代物で無かった。押井の才能は演出やコンテ(カメラワーク)にあるが、作品の総合力となると評価はし辛い。作品の総合力というのは顧客満足度の高いサービスということである。押井からすれば「顧客満足度」こそ、表現を棒に振った忌み嫌う根源であろうが、誰かに何かを伝えたい、あるいは何かを誰からか伝えてほしいというのが原始的な欲求であり、継承・細分化して文化というカテゴリーに至るのだ。押井は確かに売ろうとすれば売れる映画を作ることが出来たが、21世紀も10年も過ぎた現在ではどうだろうか。小室を例に出すまでもなく、娑婆の感覚とズレが生じていないだろうか。

別に拙僧の主題は押井批判ではない。表現とか文化は消費財であるということだ。評価感度の高いニーズ狙いの上澄み吸収戦略と大多数のニーズを狙う大衆侵透戦略の違いはあるだろうが、消費(映画であれば鑑賞)があって成立するものである。表現と消費は一対だ。大聖堂のフレスコ画だって文字が分からない方々に宗教的なメッセージを供給する目的があるからこそ、表現者の腕の見せ所だろう。確かに押井の言いたいことは分かる。AKBと派生するパーソナルアイドルの覇権を目の当たりにすれば、長期的に明らかにされる深い世界観など用は無いのかと虚しい。拙僧がそのことを実感したのは過日のコンビニである。ふと、アダルト本コーナーの萌え系ポルノマンガ雑誌の表紙に描かれた士郎正宗風の美少女ポルノ(この昭和な表現が拙僧は好きだ)マンガに気づいたのだ。雑誌名など覚えていない。今どきの若い連中はこういう絵柄に萌えるのかと手に取ったら、本当に士郎正宗が描いていてびっくりした。何も士郎正宗も餅代に困ってしぶしぶ描いたのではないだろう。本人もポルノ画を描きたかったに違いない。士郎正宗が思う存分、ポルノ画が描ける時代。これこそ現代的なニーズと表現のコラボレーションである。

Uni_0010  拙僧が主題にしたいのはニーズがあっても冴えた表現の供給があっても、ズレていれば上手くいかないということだ。台湾や大陸系の理想的なスペックと撮影に耐える廉価なデジカメを見かけると、これに適当なブランドを冠して日本で売れば満足な利ザヤが稼げるのではと誰でも思う。別に小中の流通業者のやり口ではなく、オリンパスの海外廉価モデルを国産向けに手直ししてイイ値段で商売にするのは有名である。だが、大抵の場合は上手くいかないようだ。

 本カメラのユニデンブランドが、どの程度のバリューを持つのか拙僧は知らない。アバンギャルドなルックスからトイデジカメに見えるのだけど、普通に撮影できるデジカメである。弄ってみると、どうやら三洋の設計である。アイコンやメニューが三洋のデジカメにそっくりなのだ。三洋のデジカメはザクティが記憶に新しいが、本カメラはオーソドックスなかつてのDSC-MZシリーズの系列である。既に絶えたと思っていたが、死んだはずだよお富さんである。

 ただ、その他のパーソナルブランドのカメラと同様、ユニデンのカメラも歴史に埋もれた。世界で最もカメラの要求が高い日本市場では、普通に綺麗に写るだけでは消費財としても成立できないのだ。押井は消費財を低く見ているようだが、消費財というのは正当な評価である。

 コンテンツもご覧いただきたい。

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コメント

私、アニメをまったくと言っていい程見ない人間なので「押井守」の存在さえ知らなかったのですが、Rikkieさんの表現、文化=消費材というのはまったくその通りだと思います。
やはり、どんなにクオリティーの高いモノであっても、時流とかとのズレがあれば、やっぱり表現としてうまく機能しないですからね。

しかし、「ユニデン」とは懐かしい。
無線、ラジオ業界ではそこそこネームバリューのあるブランドですが、デジカメも出してたとは驚きです。

投稿: なお | 2011年11月24日 (木) 11時33分

ワタクシもねぇ・・・アニメは基本観ませんねぇ・・・
コドモの頃は観たんですけどねぇ・・・

片目のワーゲンとネコの、イイですねぇ。
ぜっっっこ~~~の被写体じゃないですか!

投稿: nakky | 2011年11月24日 (木) 12時01分

どもども、なお殿。

あっしはアニメ業界とかゲーム業界で「好きなことをやっているから食えなくてもいい」連中を散々みて嫌になっちゃったんですよね。そういう意味で押井と庵野はそういう業界と決別できたイイきっかけになりました。本当に作家なんだったら最終評価の対象である消費に対しても責任を持つべきですよね。会社だったら表現が冴えているから消費は無視なんて通らないんですから。

意外と日立リビングサプライが今でもデジカメを出しているんですよね。こいつは本当に被写体がひしゃげるトイデジカメなんですが、そこにはニーズとのマッチがあるのでしょう。

投稿: Rikkie | 2011年11月24日 (木) 13時03分

どもども、nakky殿。

アニメはというか定期的に見るテレビ番組は「マツコ&有吉の怒り新党」くらいですね。これも(多分)関東圏の深夜番組なのでネットで見てます。水戸黄門の再放送も由美かおるが出てくるクールになって、つまらなくなってつまらなくなりました。

猫とビートルはいいでしょ。あっしは猫写真はなかなか決まらないのですが、運が良かったですね。

投稿: Rikkie | 2011年11月24日 (木) 13時13分

押井さんのことはネットニュースで知りましたが、難しいところですね。
そもそも文化として、たかだか10年でそんなに変化してよいやら・・・

能書きはさておいてユニデンですか、初めてみました!
おそらくは大衆受けしないでしょうが質実剛健なデザインでメカ好きな私には好感持てますね~

あっ、遅まきながら拙ブログのトップにリンク貼らせていただきましたのでご報告しておきます
m(__)m

投稿: たまはる | 2011年11月27日 (日) 10時08分

どもども、たまはる殿。

あっしはこの10年のアニメの文化的位置というのは実感的には分からないのですが、AKBを筆頭としたパーソナルアイドルの市場を見る限り、消費者の動的な価値観の選択・意欲は大きくなったと思いますね。「大きくなって、結局対象はAKBかよ。」というのは個人的には面白くないですが、クリエイターの斬新な価値観の供給に感度の高い消費者が反応し、裾野ねに広がっていくというモデリングは成立しづらくなっていると思いますね。
カメラ女子文化にしろ、カリスマ的指導者よりはゆるやかな連帯が求められていますね。

リンクの件、ありがとうございます(mm。
本カメラのデザイン的に飛んでいるのは三洋の血脈が感じられますね。あっしは20代の頃に、ヨドバシで家電を選ぶと妙に目立つデザインが三洋でした。価格も割安なんですよね。
それで手を出すと、しばしば(かなり)失敗したのですが。

投稿: Rikkie | 2011年11月27日 (日) 11時57分

ふと懐かしくなって士郎正宗のその後を調べているうちにここに辿りつきました。
かなり興味深い切り口で読み応えのある記事だったのは思わぬ幸いでした。

彼は昔からそれらしいカットが作中に挿入はされていたものの、まさかズバリそのものに至ってるとは知りませんでした。
アップルシードが放置され、攻殻2があのような形になって以降、興味を失ったのですが身形は多少変わっても元気な旧友に再会したような複雑な心境です。

それと、
「クリエイターの斬新な価値観の供給に感度の高い消費者が反応し、裾野に広がっていくというモデリングは成立しづらくなっている。カリスマ的指導者よりはゆるやかな連帯が求められている。」
この分析は非常に共感できます。

これらはやはりネットの影響が計り知れないかと思います。
手軽に個人が発信し、また、それを受信した上で交流まで出来る環境はかつてと比べれば別世界です。
作家は神秘性を奪われ(または自ら放棄して)送り手も受け手も渾然一体となって組んず解れつ混沌とした状態では「緩やかな連帯」の方がより好まれるのも当然の帰結なのかもしれません。

昔の投稿記事に突然、長々と書き散らしてしまい申し訳ありません。
それだけ触発される記事だったのだと言い訳させて下さい。失礼しました。

投稿: ynkw | 2013年2月14日 (木) 01時44分

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