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2013年3月 3日 (日)

父旅立つ

本ブログのポリシーは、カメラや単車の与太話で笑っていただくことにある。なので、割とシリアスな日常を報告するのはどうかとも思ったのだが、今後、何かしらのカメラを紹介するうえで何かと不都合なので報告させていただくことにした。

父親がシリアスなガンだと聞いて手術前に夫婦で会いに帰郷したのが3週間前だ。この時は池袋のキタムラでマミヤ645のズームレンズと新宿のBOXでキヤノンPを拾っている。妻に2時間だけ時間をもらって強襲したのだ。そして、手術を行ったのが2週間前で、お亡くなりになったのが先週の日曜日だ。まあ、酒を飲んでは子供を殴る様な父親で、お蔭で大人になった時に精神疾患を患う原因となったのだから、なるべく苦しんで死ねばいいと思っていた。折角、拙僧が数年ぶりに真面目に再就職をしようと会計学校に通い始めて1カ月もたっていないし、授業に穴もあけたくなかったのに嫌がらせをしやがってと思ったものだ。

長男だから急いで帰郷することも無く、月曜日には学校に事情を説明して1週間分の授業のスケジュールと宿題プリントを頂いて、火曜日に帰郷した。無論、中野と新宿では戦火を交えている。後々に紹介させていただくつもりだが、シュナイダーの付いたスイーティーな物件を廉価に見つけてご機嫌だ。やっぱり、イイ物は東京に集まるなあ。

通夜には妻も駆けつけて、北京民族大学在学中にK産党に入党した朝鮮族の妻が「長男の嫁」として拙僧と母と一緒に、参列者の方々へお辞儀をするのは、他人事ながら可笑しくて吹き出しそうになってしまったな。学校の授業は懇意にしている女子がレポートをメールで投げてきてくれるので、ある程度把握ができて助かった。「(授業の進むスピードが速すぎて)マジヤバいっすよ。っていうか、ししょう、荼毘の最中に抜け出してメール投げている場合じゃないっすよ」とのことで、相当覚悟していたのだが、確かに三河に帰還後、授業に追いつくのは極めて大変だった。

全く、感傷は無いのだが、極寒の秩父が穏やかな日どりだったのも幸いであった。介護も長くなれば憎まれもするし、あっさり死んでくれたので誰も大した苦労をせずに済んだ。

ロクでもない父親だったが、死に際はアッパレだな。

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コメント

ご愁傷様でした。
長く患わずに天に旅立たれたとのこと、私もかくありたいです。
「長男の嫁」である奥様はご立派ですね。

そういえば私も緊急時や、通夜葬儀などによりカメラ店巡りや、カメラの代わりに猛然とレコード集めをしていた時に中古レコードやめぐりに支障をきたしたことはありません。

喪服である黒服のままいろいろ歩き回ったのを覚えています。もっとも身内の葬儀の時は写真を撮りますので、必ずフィルムは仕入れに行きますので。。。

父の葬儀の折は、わたしも長男でしたので写真を撮りまわるわけにはいきませんでしたが、祖父母やカミさんの祖母の葬儀などでは記録やお顔は撮影することにしています。

やはり、生き切って身内や知人上げての最後の大セレモニーですから。


投稿: | 2013年3月 3日 (日) 17時45分

↑あ、すみません、これ私の投稿です。

投稿: 横須賀与太郎 | 2013年3月 3日 (日) 17時46分

どもども、横須賀与太郎殿。

拙僧も一応、クラッセとモノクロフィルムを持参したのですが使いませんでした。もっとも、初めから葬儀を撮影するつもりは無く、中野の例の日東商事までの小路でも撮影できればと思っていたのですが、流石に呑気に撮影する時間は有りませんでした。アルプス堂のジャンク駕籠を物色する時間は割けませぬ。

従兄弟筋が一眼レフデジカメで荼毘の様子などを撮影していましたが、拙僧はそんなネガが手元に残るのは恐ろしくて撮影しようなどとは思いませんでした。なんか写ると嫌ですしねえ。

患わずに昇天は望むところですね。流石に当面は、お呼ばれも無きことでありたいものです。
次期会戦は新盆にありにて、軍備に備えねば。

投稿: Rikkie | 2013年3月 3日 (日) 20時17分

うちの親父はもう20年前に逝きましたが、反面教師の鏡?のような存在でしたが、いざいなくなってから寂しさを覚えたこともありました。
入院してわずか数時間での出来事だったので、後で支払いに行った時入院費用が風邪をひいた時の診察代と同じくらいと母が笑っていたのを今でも覚えています。
親子だけにいろいろな感情が湧いてくると思いますが・・・
この度はご愁傷さまでした。

投稿: ぴんぼけ | 2013年3月 3日 (日) 21時08分

そうでしたか、私も数年前に父が逝きました。
私も父にはよく殴られた口です(この時代は
殴る親父が多かったですよね)

なんで、生前は不遜なことも思ったりしましたが、いざ死に目に会うと感傷的になり結構落ち込みました。

ご冥福をお祈りします。

投稿: 大佐 | 2013年3月 4日 (月) 00時02分

どもども、ぴんぼけ殿。

お言葉ありがとうございます。
何かと家族に迷惑をかけた父親ですが、最後はおとなしく行ってくれましたね。

疎遠の妹とも10数年ぶりに会話らしい会話をしたのですが、彼女は死をみとったようです。
女性というのは強いですなあ。

投稿: Rikkie | 2013年3月 4日 (月) 09時22分

どもども、大佐殿。

お言葉ありがとうございます。
あっしなどは姉妹から全く期待されていませんから、楽なものでした。すべては母と姉妹でことを済ませ、あっしめは頭を下げるだけ。

あっしなどは死に際に立ち会ったら、さすがにあせったと思います。
やはり女性は強いですわ。

投稿: Rikkie | 2013年3月 4日 (月) 09時36分

ご愁傷様でした
お父様は、最後の最後に息子孝行されたのではと思います
そう、いい方に考えておきましょう

こんな時になんですが
今月中頃、名古屋を訪れます
ミノックスちゃんも、そろそろ帰郷かなと思っております

投稿: M | 2013年3月 4日 (月) 21時15分

ご無沙汰してます。
このたびはご愁傷様でした。
葬式は普段疎遠の人との旧交を温める機会にもなりますよね。私は中学二年の時に父が亡くなりました・・で、50年経っちゃいましたねェ
いまや自分がピンピンコロリを願って神社仏閣巡りですな^^;

このオヤジがくたばったとき息子はブログにどんなことを書き込むんだろうなぁ!

投稿: アイボール | 2013年3月 4日 (月) 23時59分

ふと・・・

三丁目の夕陽’64を思い出してしまいました・・・

投稿: nakky | 2013年3月 5日 (火) 10時13分

どもども、M殿。

あっしは兎も角、母親や姉妹が苦労することは避けられました。最後はいい父親でしたよ。

名古屋にお寄りの際にはご連絡ください。
食事などご一緒させていただきたいものです。

投稿: Rikkie | 2013年3月 5日 (火) 17時16分

どもども、アイボール殿。

お久しぶりです。
そうそう、従兄弟連中とも数十年ぶりに談話しました。お互い、というか拙僧が一方的に親戚付き合いを避けていましたからねえ。
ちょいちょい毒を吐いてきました。

拙僧夫婦などは子供もいないですし、妻よりは1秒でも長くは生きていたくないと思っていますが。

投稿: Rikkie | 2013年3月 5日 (火) 17時25分

どもども、nakky殿。

あれはタイムリーでしたねえ。

父親は木工業を営んでいたんですが、形見分けで工場に行ったんですよね。
単車整備に役に立つ工具でもあればと思ったのですが、ロクな物が無かったですねえ。旋盤とか大物はあるのですが。

あんなもんでも、父親が生涯を削って守った工場なんでしょうなあ。

投稿: Rikkie | 2013年3月 5日 (火) 17時27分

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