ニコン AiAFニッコール28mmF2.8S
やっぱり一線を超えてはいけないな、ということがある。例えば文化放送の「やる気MANMAN」の吉田照美と小俣雅子の不倫だ。聞いただけで気が重くなるのだが、コーナーに「やる気大学のMANMAN生徒」というコーナーがあった。これが真昼間から「うっふん」なギリギリトークが人気であった。それが、夜ではガチだったというのだから、それは引いてしまうよな。拙僧の記憶では、そんな真昼間からラジオを聴いていたのが不思議だが、多分、授業をさぼっていたか、イヤホンで聴いていたのだろう。
この話は、もしかしたら関東圏の方しか分からないかもしれないから、中京地方の方は「き~てみや~ち」の不祥事だと思ってほしい。
拙僧は高校時代、苦手な科目は例えば100点満点の数学の中間テストで2点をとったことがあるが、情報処理系の科目はパーフェクトだったので授業中に何をやっても不問だった。そうえいば、東シベリアの独立共和国としての可能性を語り合っていた社会の教諭のテストで、答え合わせしたら10点ほど高い点数だったので指摘したら、「いいよ、お前はそんな点数で」と言われたこともあるな。緩い時代だったなあ。
そんな緩い高校時代を過ごしていた1980年代。ニコンは初のAF一眼レフカメラとそのレンズを送り出すべく、硬い仕事をしていた。本レンズもニコン初のAF一眼レフカメラのF501と同時に発売したものである。この際、F3AFのことは忘れてほしい。一眼レフカメラのAF化はキヤノンもペンタックスもオリンパスも成功したとは言えないので、ニコンとしても失敗できない思いがあっただろう。本レンズは5群5枚とシンプルな構成だが、そこには失敗を許さない硬い仕事が表れていたのではないだろうか。
それで鳴り物入りでF501が登場するのだが、残念なことにミノルタのα7000に完敗してしまうのだ。AFモジュールをケチらないという点で、ニコンは一線を越えるべきだった。
なんだか、拙僧のネガも硬いのだが、これは本レンズのパフォーマンスとは関係なく、拙僧の現像がイイ加減だったのだろう。
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コメント
当時はAF-Sレンズは高嶺の花でした。多くのレンズはモーターなしが普通だったけど今はどうなんだろ。
5枚玉でしたか。レンズについて枚数を増やして収差を補正する考えでしたが、今はだいぶ変わりましたね。
28㎜なんて「初心者には使いこなしが」としたり顔で雑誌に書かれてたけど、スマホじゃ少し望遠の標準画角だもんね。
そうそう、久しぶりにブログ更新したから見てちょんまげ。
投稿: 大佐 | 2016年8月28日 (日) 10時45分
どもども、大佐殿。
AF一眼レフカメラのデビュー戦ですから、いいお値段がしたんでしょうね。
今ではというかフィルムカメラからデジカメに遷移する直前からニコンの幅広いクラスのレンズがモーター内蔵化していたと思います。確かニコンUsはモーター内蔵レンズでないとAFが使えないかった気がします。
28mmで図々しく寄るというのがスナップの醍醐味でしたが、最近はビビりリミッターが効いて35mmの方が都合がいいかもしれません。
28mmのハードルが高いという時代があったことは知っていますが、レンズ市場では28mmの方が35mmよりも流通量が多くて安いですよね。
ブログ、拝見させて頂きます(mm。
投稿: Rikkie | 2016年8月28日 (日) 16時29分
F3AF(1983年)からF4(1988年)までの5年間という時代は、F3AFの暗黒臭とαショックの印象が強すぎて、ニコンレンズは完全に盲点でした。
マニュアルレンズからAFのDレンズに記憶が飛んでいるのですが、その間があったんですね……。
写り自体は、オーソドックスなニコン調、質実剛健な印象ですね。興味深く拝見させていただきました。
投稿: だいきちボンバー | 2016年8月28日 (日) 18時01分
どもども、だいきちボンバー殿。
確かにF3AFで近代的なAF技術を先見しながらαショックで期待した機動ができなかったのはニコンにとっては不幸でした。
一説によるとAFモジュール自体はα7000とニコンF501は同じもので、ややニコンが簡素なものにした為にAFのパワーが劣っていたとされます。
しかし、一番の苦悩はFマウントを継承することだったでしょうね。まるきり新しいシステムを組む方が楽だったでしょうから。
写りはもう少しデリケートな諧調がでるのではと思います。確かに硬調なのはニコンらしいのですが、ちょっと強調が過剰ですよね。
拙僧の現像が下手なのが原因だと思うのですが、再び稼働して本来のパフォーマンスを発揮させたいものです。
投稿: Rikkie | 2016年8月28日 (日) 22時42分