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2017年3月22日 (水)

ヤシカ コンタックスRTS

Dscn2421先日、何気に朝のTVニュースを観ていた。多分、名古屋のローカル番組の全国ニュース枠だ。TVニュースといっても、扱っていたのは芸能ニュースだ。内容は興味が無いので覚えていない。ちょっと不思議に思ったのは芸能リポーターのバストショットの脇あたりに「*イメージです」というテロップがひっついていたのだ。最初は意味が分からなかったのだが、要するに芸能リポーターの説明・解釈は「イメージ」で現実であるかどうかは、そのニュース番組は責任を負いませんよ、ということだろう。

いわゆる、コンプライアンス対策なのだろうが、芸能リポーターの言うことなんて、勝手なことを言っているという認識が常識的だと思うのだが、イチイチ、注釈を入れないとTVの言っていることが本当だと盲信してしまう方がいらっしゃるのだろうな。これの対象は政治家さんでも、脳心理学者さんでも、宗教的カリスマさんでも、同様なのだろう。

「土門拳の写真は、本来、静物であるはずの仏像が迫ってくるような迫力である。(*イメージです)」

1972年にカールツアイス財団の参加であるカメラ製造を主に行っていた「ツアイス・イコン社」が民生カメラの生産を終了した。後に、コシナがMマウントの距離計連動「ツアイス・イコン」を出すのでややこしいのだが、「ツアイス・イコン社」はレンズ交換式距離計連動機ばかり作っていたのではないので、大した意味は無く、あくまでもイメージである。

「コンタックス」というのも、そもそもは戦前に発売したレンズ交換式距離計連動機のモデル名、もしくはブランドであった。「ライカに対抗した」と日本のカメラライターがちょいちょい描くのだが、巨人カールツアイスが田舎の中小企業であるライツなんてまともに相手をするつもりは無かっただろうな。ただ、レンズ交換式距離計連動機というのはニーズが顕著だし、ライカが売れているのも確かだから左手の人差し指あたりで潰してやるつもりはあったかもしれない。

レンズ交換式距離計連動機を最初に作ったのはライツではない。世界中(と言ってもヨーロッパか北米、ソ連くらいだろうけど)でカメラを開発している会社や個人は沢山あって、どこの誰がレンズ交換式距離計連動機を最初に作ったのかは正確には分からないんじゃないだろうか。ただ、ライツが素晴らしかったのはカメラの開発だけではなく、35mmシネフィルムの2コマ分で撮影したネガを現像し、引き延ばし、員がするシステムを全て整えたことだ。他にも接写装置とか色々なアクセサリーを充実させて、多様なニーズに対応した。これは確かに大したことである。オリンパスのOMシリーズを出したときに他社のエンジニアだかアドミニストレーターだか忘れたが、「カメラやレンズはともかく、これだけのシステムを一気に発売を開始したのは凄い」と言って、例の伝説のカリスマエンジニアさんは顔を曇らせたらしいな。

ライツに比べてカールツアイスが悲惨だったのは戦争に負けてドイツと同様、東西に分裂してしまった事だ。これはレンズを供給したショット社も同様である。致命的なことに重要な開発施設も製造施設も人員も殆どが東側に組み込まれてしまい、ごっそりとソビエトに奪われてしまった。そこでコンタックスをウクライナで生産したのがキエフであるのはご存知の通りだ。もっとも、正確に言うとソビエト人民のクオリティで作った「コンタックス」のようなものである。実際にはソビエトが大喜びしたのは軍事的な光学機器や開発ノウハウ、それに人員だっただろう。その後、人員は東ドイツに戻されたが東ドイツ人民政府の下で統制されて、しかも「東側の怠け者」によって製造した工業製品は他の東側諸国に比べればクオリティはマシだが、かつての栄光を取り戻すことはできなかった。

これは西側も同様で、戦後に西側に復興したツアイス・イコンも苦しい戦いを強いられる。ライバルはライツではない。日本製カメラ・レンズだ。ライツも日本のメーカーに駆逐されかけたがギリギリ凌いだ。実際に「ライツ」から「ライカ」になったしな。いかにドイツ人が日本人が嫌いで劣等民族だと信じていても、1970年代には一部の特殊なブツを除き世界のカメラ・レンズ市場の殆どを占領してしまった。ツアイス・イコンもドイツ国内で提携先を探して巻き返しを図った形跡があるのだが、最早、日本に対抗できるような高いクオリティの量産品を開発できる企業は無かった。渋々、日本のメーカーにコンタクトをとる。それでも、「コンタックス?今更、そんなブランド要らないっすよ」という程、日本のメーカーは実力を手に入れていた。

「ツアイス・イコン」は潰れたが、カールツアイスのレンズ生産能力は健全だったからボディを作ってもらうメーカーが必要だ。そんな体力のある会社はドイツ国内には無かったからヤシカに白羽の矢が立った。個人的には日本人にボディを作らせるくらいなら「ツアイス・イコンなんて潰してしまえ」とドイツ人は思ったんじゃないかな。

ヤシカも台所事情というが苦しかったというか、ブランディングや利益モデルのシーケンスが健全とは言えなかったから、あの「カールツアイス」のレンズの供給が受けられるとなれば、戦況を挽回できると思ったのだろう。ボディの設計に「ツアイス・イコン」の技術が引き継がれたとは思えない。そんなことになったら、とても売れて儲かるカメラにはならなかっただろう。その結果、1975年に生まれたのが「コンタックスRTS」という一眼レフカメラだ。無論、戦前のレンズ交換式距離計連動機の「コンタックス」から継承するモノは全く無い。「*イメージです」ということだ。

それで、ヤシカの起死回生の一撃となったかは評価が分かれるところだ。

コンテンツもご覧いただきたい。

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コメント

泣く爺いどころか、当時まだ小学生だった私メなども
そのレンズ価格をカタログで見た時にだまったもんでした。でも当時かっちょよかったのを今も思い出します。
ポルシェデザインとかって言葉の魔法にもだまされたもんです。こどもだったもんで。
長じてツアイスの信者にもなりましたけども、そこはそれ。です。

投稿: k-1!輜重兵 | 2017年3月23日 (木) 09時39分

どもども、k-1!輜重兵殿。

ヤシコンのボディはカッコイイですよね。パッと見だと高級機も普及機(といってもいいお値段ですが)もお同じように見えるのはスタイリングのポリシーが一貫していて、古きドイツの面影があります。マルニ時代のBMWのような。

しかし、レンズは高かったですね。ディスタゴン25mmF2.8が3万円くらいまで下がったときに買えばよかった。今は価格も大分落ち着きましたが、一度跳ね上がったいくつかのブツはもう下がらないでしょうね。

Gマウントもですがレンズは素晴らしいですよね。京セラじゃなくてコシナあたりが引き継いでくれたら、ボディも安心して使えたのですが。

もっとも、こんな話は今では冗談にもなりませんね。

コシナがコンタックスTVSを作ってくれないかなあ。今更、フィルムのAF高級コンパクトカメラなんて無理ですよね。

投稿: Rikkie | 2017年3月23日 (木) 12時18分

どもども。
RTSのデザインは素晴らしかったです。これを見たとき、海外の工業デザインレベルの高さに驚きました。やはりデザイナーの地位が高いんでしょうね。日本だと稟議を回すうちに横槍が入って忖度を重ねてたら、こうなっちゃいました。しかし全員の意見が入ってるから責任の所在もあやふや。あはは。

投稿: 大佐 | 2017年3月23日 (木) 18時37分

どもども、大佐殿。

そうなんですよね、RTSのデザインは素晴らしいんですよね。

単車はそれでもまだましなんですが、四輪だと市場ニーズがどーだとか、生産コストがどーだとか、安全基準がどーだとか、プロトタイプが素晴らしくても量産品になると無残になります。

カメラなんて人をはねるわけじゃないから勝手にさせてほしいものですが、出来上がったのがシグマSD1ですか。うーむ。

投稿: Rikkie | 2017年3月24日 (金) 17時35分

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