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2019年7月 6日 (土)

旭光学 ペンタックスES

Dscn2296拙僧の妻が会社の何周年かのイベントを企画しているのだが、コムロファミリーの某Tというユニットを呼ぶそうだ。かなりの予算をぶち込んで箱も用意したのだが今更、某Tと思われるかもしれない。しかし、コムロファミリーが輝いていた90年代というのは会社を形成する 上級社員や下級管理職にとって青春時代を共にしたサウンドである。拙僧だって聴いていた。スキーやマリンスポーツではなくてエンデューロへ向かうハイエースの中だが。上からは叩かれ、下からはつき上げられる一番ストレスフルなポジションの方々にフィットし予算的に都合がイイのが某Tなのだろう。

まだパソコン通信の時代、ニフティサーブのクラシックカーフォーラムで定義していた「クラシックカー」というのは生産終了後の10年が経過することだった。20代前半の拙僧からすれば10年も前にカタログ落ちした自動車はクラシックというのは大げさにしろセミクラシックくらいの認識はあった。ところが21世紀も20年に至ろうとする現在、拙僧の四輪は97年式のユーノスロードスターNA8だし、単車は90年式のR1-Zだ。29年落ちの2st車というのは自分で言っていて笑ってしまう。工業製品でいえば90年代のシロモノはクラシックなのかもしれないな。コムロファミリーや某Tをクラシックと冠するのは失礼だし妥当ではないと思えるが。

そういう意味では拙僧とほぼ同世代の本カメラはクラシックカメラといえるだろうか。人間の方もだいぶクラシックな感じだが。

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コメント

函館空港に強制着陸したmig25を分解して見て、真空管が使われていたって言うのを思い出しました。今でこそカメラの中身はパソコンとなにも変りがない電化製品ですが、この当時のプリミティブなAE機能にはトランジスタ(死語?)とか抵抗とかの秋葉原で買えるような電子部品で動かしていただなんて、今ふりかえるとその方がすごい技術力のような気がして成りません。 カメラも夢を観ていたんだとおもいます。 ウチのESIIはまだ現役で動かせます(ファントム2?)がモダンクラシックとよんでもいいくらいこの時代のカメラはまだカッコ良さを感じて成りません。 ニコンF3だってスルメイカ入りのショートケーキなんて言われたんですもんね。

このカメラの時代、日本の中産階級の手が届く贅沢な一眼レフ、しかもAE搭載、当時のオトウサンたちはあこがれた事でしょう。 (ニコンだけがメーカーではありませんし、旭光学は偉大な庶民の見方のカメラメーカーですし) 
今のオトウサンたちはスマホでコンデジでこどもの写真を撮るようですが、このカメラが発売された頃はまだオトウサンには威厳がありました。それでもAEで撮っちゃうなんてちょっとずるいオトウサンですけれど。
日本の厳格な父親には、フルマニュアルで撮って貰いたい気分です。

投稿: K-1!輜重兵 | 2019年7月10日 (水) 13時33分

どもども、K-1!輜重兵殿。

Mig-25の亡命は原体験としての記憶はないのですが、90年代半ばにワイヤード日本語版のベレンコさんの記事を読んだことがあります。かつてはスレンダーだった青年がジャンクフードでぼってり太り、「世の中、金だよ」とすっかり資本主義の悪魔に頭をやられてしまったのが印象的でした。

ファントム2も長いですよね。もっとも、Mig-21(もしくは大陸製F-7)やIl-28を現役で飛ばしている(燃料をかき集めて)国もありますが。最近、プラモデル熱が再発しているのですが、拙僧の趣向に合うようなブツは絶版だったり、そもそも国内でモデル化していなかったりして、絶版プラモデルや海外のブツにビットを入れています。旧共産圏の泣きたくなりそうなプリミティブなキットも乙なものです。ジョークアイテムとして。トルコ製のファントム2なんて箱を開けるのも怖い。

真空管で動くレーダーでマッハ3級で飛んでくるXB-70を迎撃するために開発したMig-25ですが、当時のソビエト連邦が安定した製造ができるのは真空管でトランジスタは甚だ怪しいという自覚がロシア人にもあったのでしょう。そういう手っ取り早く手元の技術ででっち上げて運用するというのもロシア人らしくて可愛らしいものです。もっとも、アメリカ人がXB-70の方を止めてしまったというのも、何かを象徴しているのかもしれないですね。なにせアーガスの国です。

拙僧の幼少期を写したのは、もっぱら父親のニコンFEではなく、母親のピッカリコニカでした。70~80年代の父親というのはカメラを買うことはできても、子供の運動会などで仕事を休むことができないというのが状態ではないでしょうか。

現在の「働き方改革」の世の中とは隔世の感です。

投稿: Rikkie | 2019年7月10日 (水) 17時39分

Mig-25覚えています~
小1でしたので、ソ連というところから来た。通常じゃない状況できた。亡命って何?こんなことくらいですけれど、Migと聞けば25とすぐ反射的に出てきます。
ESは現役のころは高く、安くなったころには使い物にならなくって、結局動作期間が短かったのでしょうか。。。SPのようなまろやかさの中に、身の詰まった質感も出てきても力的なのですが、はんだ付けのディスクリートはやはり難しいのでしょうか。
Migの翌年、教育テレビの楽器の「おけいこ」系の番組に超初心者として半年出演した関係で、当時バカ高くて出たばっかりで、テープさえ秋葉原に行かないと買えないVHSの初号機をわが家で買ったのでありますが、2年くらいしたら音が入ってるんだか入ってないんだか、人が近づくと色が変わったり音が消えたり、怪現象を起こすようになりました。半導体ディスクリートのプリント基板,人海戦術半田付けよりも、差し込み+ラグ端子付け、配線、高電圧のほうがどうにかなったのでしょうか。。。えッ、、、Migに搭載されていたエレクトローナヤ ラーンパは6c33cだとの噂ですって!一時期この球は流行りましたね。
ESでダメもとでに調整に出そうと思っていた個体があったのですが、カメラサービス鹿児島様が閉店となり、ESの夢も諦めました。使うことがうれしいカメラの一つだったように思います。

投稿: 横須賀与太郎 | 2019年7月10日 (水) 20時25分

どもども、横須賀与太郎殿

ちゃんと調べたらベレンコ中尉のMig-25が亡命したのが1976年ですね。あっしはまだ小学生になっていないので、体験的には覚えていないです。ただ、キャノピーに布をかけたゴツいモノクロ写真はうっすらと覚えています。

ESのハンダの多い基盤というのはICに比べると製造コストも信頼性も低いということだと思います。
あっしの父親もあっしがイルクーツク夜祭に参加するのを口実に対戦車ロケットのようなカメラユニットと肩から吊り下げる録画ユニットを組み合わせたVHS撮影セットを購入したのですが、たしか当時で100万円くらいだったと聞いています(本当かなあ)。そのセットだけではTV録画はできず、TV録画ユニットは別に買う必要がありました。
なんで2インチフロッピーディスクを使う電子スチルカメラなんていう中途半端なブツが発生したのか不思議だったのですが、当時のビデオカメラが恐ろしく高額で大きかったことを鑑みなければいけないですよね。

拙僧が高校生の頃、中共から使節団が来たんですよね。拙僧は電子機械科でZ80キットをプレゼントしようとして、すこぶる官庁の方から叱られました。コメコンは16ビット以上のマイコンの輸出を規制していましたが、8ビットならOKということではなかったようです。東芝の事件もありましたし。

電子シャッター機をOHできる工房も減りましたか。イストが健全なうちにブロニカS2をOHに出したいと願っていたのですが夢になりそうです。

投稿: Rikkie | 2019年7月11日 (木) 07時20分

ミグ25、函館空港に強豪着陸、日本の防空システムは無効としたような事件であり、ベレンコ中尉(大尉?)の身柄、ミグを監察した北海道警察など。実機調査の後に対処が話し合われて、函館空港から米軍の巨大輸送機で百里基地に運び、トレーラーにて茨城県日立港よりソ連貨物船にて帰国…。確か政府関係者は『パンツの中までは見るな』と言う噂もあります。
一躍、謎の有名機となりプラモデルは『飛行機のハセガワ』が模型化。
何より積み出した日立港のある街に居住していたので、様々に記憶しております。残念なのはミグ25のドライなフォルムには食指は動かずで、英国のライトニング戦闘機こそ至上と信じて止まない私には無縁な戦闘機でした。

投稿: HOOD | 2019年7月13日 (土) 02時49分

追伸・ミグのパンツの中までは見るな…という政府関係者の発言は、かなり信憑性を持って流布していました。
真空管や旧式な資材を使用しており、マッハ3を狙うとされたミグ25の秘密は西側へ暴露された結果となりました。
私には前述した通り、ライトニングやF106デルタダートを至上の戦闘機として考えていたので(ライトニングをシシャモなどは許しがたい!)、ゆえに、あの直線的でドライな卵焼き器のようなミグ25のフォルムには興味はなく。ライトニングの良いキットがタミヤかモノグラムあたりから出ないかな?
と心の底から願っておりました。
ただ、市内の港から運び出すということで周囲の話題は尽きなかったと記憶します。
ESは私も一台所蔵しておりますが、SPの稼働率に比べて全くの保存機であり、その理由は何より『ESでの撮影が面白くない』からでした。

投稿: HOOD | 2019年7月13日 (土) 03時08分

どもども、HOOD殿。

拙僧はMig-25の事件は実体験としては覚えていないのですが、西ドイツの青年がセスナで赤の広場に着陸した事件は覚えています。随分、更迭されたようですが、Mig-25のときも更迭の嵐だったでしょう。当時のソビエト連邦ですから「シベリアで木を数える」だけでは済まなかったかもしれないですね。

Mig-25のフォルムはお嫌いですか。拙僧は100円だか200円だかのガチャでMig-25の簡素なプラモデルが当たって喜々としたのを覚えています。あの直線基調で構成したボディを好ましく思っていたのは「ガンダム」の影響でショウ。

完全地上管制による迎撃機としてのMig-25の真空管で制御したレーダーですが、実際には出撃ごとに総交換だったのではと想像しています。中東で活躍されたといわれるMig-25が搭載していたレーダーは、ダウングレードモデルでMig-21が搭載した「Jバード」だと思うのですが、汎用性と「手間のかからなさ」からすれば適切な運用でショウ。

ライトニングといえば「エリア88で脱走兵狩りの乗機」というのが原体験です。当時は機種のエアインテーク、主翼の上に配置したドロップタンク、なによりも縦に配置した排気口が小学生心に古臭くやっつけ仕事に思えました。しかし、最近タミヤの1/200モデルの完成品を手に入れたのですが、カットデルタ翼と曲線で構成したふくよかなボディラインが英国人の偏狭と理想を感じて好ましいものです。低めの主翼にドロップタンクをつけた姿は、今にもとびかかろうとする猛禽類のようですね。

拙僧も10年以上前は絞り優先AEで遊んでいましたが、今となってはボディ内露出計をアテにすることもなくSP/SPFと使い分けていません。

ちゃんとシャッター速度が出て遮光ができていれば、その他のプラクチカマウントのボディと変わらないのですが、そういう使い方ができるのも本カメラのチャーミングなところではないでしょうか。

投稿: Rikkie | 2019年7月13日 (土) 05時26分

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