2014年3月13日 (木)

楽凱月交巻(ラッキーフィルム) と フォーチュンクッキー

Dscn0094 依然、我師団は「秋元48軍」に包囲され脱出のプランも見通しが立たない。我々を包囲するのは「恋するフォーチュンクッキー近衛連隊」である。基本的にはPVを再生しているのだが、じっくり見るわけではない。それでも1日に50回くらい再生するからな。他の48の曲も何曲か聞いたんだが、全く興味がない。他の曲は所詮「48の世界」で完結するか「フルーツ籠で1山いくら」なのに対し、「 恋する~」はPVに「ソーシャル」を感じるのだ。以前、48は分散して穏やかに収束するだろうと予測していた。CDをロット買いして握手権を求めるような連中はファン層の手本となるロールモデルとしては全く魅力が無いし、ファン層の高齢化で「48の世界」というと閉じた市場は何れ拡散して消滅すると思っていたのだ。しかし、所詮は拙僧は素人だ、全く見通しが甘い。「48ブランド」はソーシャルに展開して機動的に購買層を打撃するのだろう。今日のブレーキングニュースでは東京オリンピックのプロデュースを秋元康が引き受けたらしい。これからのビジネスモデルはソーシャルとのリンケージっすよね。敵わねえよ、プロの仕事は。

Dscn0096 「フォーチュンクッキー」の意味が解らなかったのだが、あれは大陸(中国)の焼き菓子で、中に小さい紙片か巻物が入っていて運勢が書いてある、一種のおみくじなのだ。日本だと食べ物の中に食べられない物を混ぜるのは困難なので、横浜の中華街にもないだろうな。「恋する~」の振り付けにもクッキーを指を組んだ掌で割るジェスチャーを組み込んでいるらしい。隙がねえなあ、秋元。

 あれが「クッキー」なのかはともかく、そういうのは拙僧も妻も「軽く歴史的な中国映画」くらいでしか見たことがない。 なので本当はどのように呼ばれているのか知らないけど、多分、「開運煎餅」だろうな。それだと、ちっとも面白くない。なので「フォーチュンクッキー」を北京語のサウンド(ピン音)であてたくなった。それで妻が風呂上がりの御作法をしている間にポケット華字典で調べてみたよ。あっしがあてたのは「福奨気開(ふーぢあんくーかい)」。”気”はもっと難しい漢字で、日本に該当するものが無いので添付画像を見ていただきたい。それで風呂上がりの妻に見せたのよ。

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 「またつまらないことを」

という顔をする妻なのだが、最近は資本主義圏の遊びを理解しているから付き合ってくれたよ。妻がちょっと手を入れたのが

「福将開気(ふーじあんかいちー)」

これなら「福の気を開花するよう取り計らう」とういう意味にならないこともない。ちょっとギリギリだけど。あとは「恋する」の部分だが、ここはムリに音をあてなくても普通の漢語のルールでいいわ。しかし、妻はそっちの方が苦労していたな。妻がk産党の支援で大学の受験勉強をしていた時には、そんなツマラナイ漢語には接していなかったからな。

Dscn0098 それでできたのが

「熱恋中的福将開気(るぁりゃんちゅんだふーじあんかいちー)」

ちょっと「恋するフォーチュンクッキー」のメロディーに載せてみたけど、けっこうイイ感じよ。秋元に教えてやろうかなあ。

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 なんでそんなツマラナイことを報告させていただきたいと思ったのは、中国にラッキーパンというフィルムメーカーがあったのだ。その「ラッキー」に「楽凱(るーくぁい)」の漢字をあてていたのだ。とてもスマートだと思ったのよ。拙僧がもっぱら使っていたのはモノクロのラッキーパンのSHD100だった、これがライカ判の36枚撮りだと1本12元くらい(円安時で160円くらい)で、120判だと8元くらいだった。なので、拙僧は妻が出張のタイミングに合わせて現地エージェントの協力を得てロット買いしていたのだ。カラーネガも手に入れたのだが、それは国内だった気がする。それも、さる流通筋から1本100円で確保したのだ。

Dscn1480  その楽凱も民生フィルムの生産をヤメてしまった。なので現在はモノクロフィルムもプロパー価格に近い価格で買っているから費用が跳ね上がって師団の運用を困難にしている。

Dscn4397  ちなみに何十回もPVを観ているのだが、48の娘の顔の区別が全くつかない。興味が全くないからだろう。どうも、「センター」が近衛連隊長から北九州の第18師団に更迭された「さしはらさん」らしいんだが、キャプションなしでTVに登場しても拙僧は認識できないだろうな。

Mig21 Mig-21のサブタイプの方が遥かに明快に判明できる。添付画像はMig-21の初期のタイプで当時の西側がフィッシュベットCと称していたタイプか、それを中国がコピーした殲撃-7だろう。

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2012年9月17日 (月)

2011年 上海に行った その2

Imagea6  上海旅行で残念だったのが、事前に楽しみにしていた老上海街が既に取り壊されていたことだ。あれから1年以上も経っているので、ますます近代化が進み、カオスの魅力が減退しているだろう。

 大境路は、かつては上海有数の商店街だったそうなのだが、再開発が進んでおり、一部の街並みが残るのみであった。しかし、このような新鮮な食材が並んでいるのを見ることが出来たのは興味深い。

Image15  ちなみにボディはキヤノンAL-1、レンズは気合のFD50mmF1.2である。こいつは若干周辺部にカビがあるが、3000円だったから文句は無い。「潜るんです」から抜いたISO800カラーネガで夜景も撮影している。

 コンテンツもご覧いただきたい。

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2012年9月13日 (木)

2011年 上海に行った その1

Dscn4547  今更ながら2011年5月に行った上海旅行を報告したい。拙僧のやることなので1ダースものカメラ・レンズを担いでいったのだが、今回はデジカメでと撮った画像を報告したい。特に、上海の中古カメラ商場の報告をさせていただいているので、関心を持っていただければ幸いである。

 コンテンツもご覧いただきたい。

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2011年6月13日 (月)

ミノルタフレックス

Dscn0933  上海から戻って1週間になろうとしているが、いまだに大した報告が出来ないのは通信大学の科目修了試験が控えているからである。そんなものは7月だと思って届いた教材の段ボール箱も開けていなかった。なので急いでネット授業を受けたりテキスト授業の模擬試験をこなして修了試験の条件を満たすために必死である。ちなみに帰国日翌日にもスクーリングがあった。それを知ったのが帰国前日なので、拙僧のうっかり具合は我ながら呆れるなあ。

M3  持って行った機材は前回の報告とはかなり変わった。いろいろと逡巡してチマチマ変更をしてしまうのが、人間の小ささが感じられて哀しいものだ。追加した機材の一つがミノルタフレックス。どうも滞在期間中、天候に恵まれ無さそうだったので目測のウェルタ=ペルレでは不安に思ったのだ。二眼レフなら精密なフォーカシングができると思ったのである。拙僧の個体はフォーカシングスクリーンにヒビがあり、コンディションは良くはないがシャッターも巻き上げの自動止めも動くようだったので選択。

M8  ところが帰国後、TMAX400を現像すると超オーバーなのである。スキャナーで読み込んだ画像は強烈な補正が掛かるので見れないことはないが、ちょっとプリントには堪えない程である。ウェルタ=ペルレの方は大丈夫だったので、どうも個体に問題があるのかもしれない。なんといってもミノルタフレックスは今回がデビュー戦であった。

 海外の肝心な撮影の前には少なくてもフィルム1本は通すべきだろう。そんなことは拙僧も頭によぎらなくもないのだが、どうもリスキーな選択をしてしまう。

 これもフロイト的に言うタナトスなのだろうか。

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2011年5月30日 (月)

フジフィルム ファインピクスS9000

Dscn1011  ブログは先に書き溜めているので本記事が公開される頃には拙僧は上海へ飛んでいる。きっと、上海語と大陸のラフな環境に耐えかねて泣いているかカップめんをススっているだろう。

 また例によってカメラを買うのではと悟られそうだけど、今回はそういう訳にはいかないのだ。まず一つ目に、今回の旅行はわけあって流行に敏感な上海人のファッションを撮りためる目的があるのだ。そうなると「光学ファインダーで合わせるMFが情緒的」などと言っているわけにはいかずこのような高度な近代戦を戦える実用カメラになるのである。なんたってフジノンの28~300mm相当の10倍レンズ搭載だから、最近近代化が激しいとは言え、解放軍相手には不足が無い。

Dscn1012  もう一つ、カメラ買いのゲリラ戦を展開できない理由は、面白くもなんともないが資金難である。東京で放出したというのもあるが、実は滞在費+遊び代で十分なお金は妻から支給されたのだ。では、なぜ資金難なのかというと

Dscn1547 こういう宝石を買ってしまったからだ。わっはっは。

 無論、大陸の空気を吸わせる予定ですわ。

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2011年3月 3日 (木)

間違えてしまったよ

Img_0007  今まで、あちこちで「海鴎4A」として紹介していたあっしの海鴎二眼レフだが、本当は「海鴎4B」でした。申し訳ないです(mm。海鴎二眼レフにはクランク巻き上げの「海鴎4A」と赤窓ノブ巻き上げの「海鴎4B」があるのだが、あろうことかアベコベに覚えていたのだ。今回、中国製カメラを調べに方々の現地のコンテンツを読んでいたら発覚したのである。

 拙僧のコンテンツも大幅に修正したので許していただきたい。

 海鴎4Bは拙僧にとって最初の二眼レフカメラである。今は亡き北京朝陽区骨董品市場の露天商から購入したものだ。今では敷地はショッピングモールになっている。二眼レフは欲しいカメラだったから廉価に購入出来て有頂天だった。あちこち問題は有るが、バルカーを繋げてスタジオポートレイトも撮影したのは既に報告の通りである。

 二眼レフのユニークなスタイリングはカメラ女子にもカメラ男子にも好意的に映るらしく、ガッケンフレックスや二眼レフ風のブラックバードフライやホルガTLRなどマストアイテムいになっているようだ。後者はすこぶる高価で1000円のリコーフレックス(ボロの革ケース付き)で喜んでいる拙僧にはとても手が届かない。二眼レフが人気があるのは、その冗談のような縦に並んだレンズによる愛嬌だろう。うつむき加減に撮影するのも空気を読むのに忙しいM1F1層にマッチしているのだろうな。そもそもはクイックリターン登場以前のマット面によるフォーカシングの解決策だったのだが、それが電気的特性や複雑なメカニズムを持ちいない生理的な方法が好ましく思えるのだろう。

Dsc04806  とはいえ、こうなったら興ざめである。

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2011年2月28日 (月)

常州相照机総廠 紅梅 HM-1

Dscn6736  紅梅については随分前に一度報告させていただいた。詳細を報告させていただくには何本かフィルムを通してからと思いつつも半年も過ぎてしまったのが恥ずかしい。ネタも尽きてきたので写真は少ないがコンテンツを作らせていただいたのでご覧いただきたい。

Dscn6741  拙僧がカメラ人生にデビューした頃にはペンタックスやマミヤの645判一眼レフが既にAFになっていた。カメラ雑誌によれば中判はライカ判に比べて大きなフォーマットを持ち、情報量の多い精密な写真を得る、上級者のカメラとされていた。しかし、そもそも中判カメラは裏紙で巻いただけのフィルムにオートマットも未搭載のシンプルな構造を可能としており、貧者の味方という一面も持っていたのだ。高度成長期の初期に日本で流行ったように、文革時代の疲弊した中国人民(老百姓)にとって心の拠り所となるプリミティブなカメラが本カメラであっただろう。何も高品質・高性能ばかりが心を癒すものではない。
H1  それにしても時代は一巡も二巡もしたのだろうか、今では中判フィルムを装填していると名古屋の若い連中に「ホルガのフィルム」と指を指される始末である。拙僧にとっては中判カメラが写しだす空気感は、結局のところ不安定なフィルムの平面性や解像度の低いレンズによって偶発的に得られるものだと思っているので、それほどネガティブな評価ではない。漢字で刻印された「紅梅」の文字や赤く刻まれた花のアイコンがキュートであるというのが、本カメラを手に取る積極的な理由であるのも良いことだと思う。
 最近では中国もレトロブームなのか初期の海鴎4Aもいい値段で売られているから、そのうち本カメラも値が上がるかもしれないな。

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2011年1月31日 (月)

海鴎(4A) SA-84 75mmF3.5

Img_7618  例によって八王子時代のネガを焼いていたのだが、当時はどのカメラとレンズで撮影したのかをメモしていなかった。現在でも袋にサインペンで殴り書きしているだけだが、あるとないのでは大違いである。ネガを見るとスタジオ撮影をしているのだ。これは友人らと八王子市のスタジオを借りたものなのは思い出したのだが、撮影したカメラを思い出せない。初めブロニカS2なのかと思ったのだがアパチュアのサイズが大きいようである。ご存知の通り中判カメラのアパチュアのサイズ・形状は同じシックス判でも結構違うので分かるものである。大き目なのは紅梅に似ているなあと思って思い出した。二眼レフの海鴎4Aである。確か、レンズシャッターなのがスタジオ撮影に有利だと思ったのだ。

Image4  二眼レフの海鴎にも大きく二つのモデルがある。詳しくはコンテンツをご覧いただきたい。廉価な3枚玉だが、コントラストが付いてホリの深いモデルさんに合うようである。

 撮影結果もご覧いただきたい。

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2011年1月27日 (木)

公元 ERA100 黒白月交巻

Img_0124  本フィルムは工作員の手によって国境を越えたものではなく、普通にネットオークションで手に入れたものである。しかも、送料込みで期限切れが1本220円と言えば安くもなく面白味は全く無い。しかし、ちょっとした伏線になるのである。

 この5年くらい、拙僧はモノクロフィルムはスーパープレスト1600以外はほぼ楽凱のラッキーパンSHD100を使ってきた。理由は貰ったり現地で安く買ったりしたブツが大量に有ったからである。しばしば期限切れになったが、そんなことは半世紀前のレンズに一喜一憂している拙僧からすれば大した問題にならない。今も拙僧のペースでいけばストックは半年から10か月くらいあるので、天候不順や室内撮影に備えてスーパープレストかコダックのISO400を数本確保していれば問題なかった。しかし、ここにきてカラーネガの供給状況にも変化が見られた。具体的には定期偵察をするキタムラの棚ずれフィルムが全く出なくなったのである。

 実際にはちょっと足を延ばしたキタムラには36枚撮りのコダックのゴールド400の5本パックが1580円で売っている。多分、幸せな環境ともいえるのだろうが、今まで1本100円で期限切迫フィルムを拾っていた拙僧には負担になるのだ。24枚撮りのゴールド100なら178円で売っているが、同時プリントだと割高な気がする。それにカラーネガは手を抜きたいので(?)できればISO400を手に入れたいのだ。そこで何時ものように妻に頼もうとしたら「いい加減面倒になった」とネガティブな反応なのである。確かに出張で疲れている妻に現地エージェントと接触して手渡しの数ダースのフィルムを受け取り、ハンドキャリーするのは面倒な作業である。そこで妻も得した感を感じ、拙僧の懐も痛めないモデルを構築する必要に迫られたのだ。つまり、中国製のフィルムを日本で購入して「いやあ、xx円もしたんだよ~。中国で買えば半値なんだけどねえ」と耳元でつぶやいたのである。「中国で買ったら安い」、これは妻に響く殺し文句である。本フィルムの購入は辺境の島を砲撃するような政治的なパフォーマンスの意味を含んでいたのである。

 ワザワザ、期限切れのフィルムにお金を払ったのにはもう一つ理由があった。中国でもフィルムは統廃合されつつあるのだ。SUNNYやインフィニティといったOEMブランドが増える一方、公元やら福達と言った伝統的ブランドも消えてしまったのである。

兎も角、首尾よくいけば3月には3ダースほどのSUNNYかマイハートが手に入るはずである。ちなみに通販で送料込みでも1本120~150円程の筈だ。

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2010年11月 4日 (木)

マカオの女子中学生

M2_1  拙僧が新婚旅行で訪れたのだから、もう8年前になる。マカオの中心地には女子中学校があって、下校時間には見渡す限りが女子中学生だらけになるのだ。なんか金が取れそうな風景である。

 その女子中学生同士がタンデムでスクーターを転がしていたもの、いったい免許のシステムがどうなっているのわからない。

M2_2  誰も信じてくれないが、拙僧は見た。写真だってある。ニコンEM+AiS50mmF1.8である。

 しかし、その後何度かの訪問では2度とめぐり合うことはできなかった。

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