「日本のエンジニアは独創性が無い。」
「日本のエンジニアは創作性が無い。」
この、インターネットで情報の供給過剰の世の中でもしたり顔で言う方は今でもいらっしゃいますな。勿論、本当にエンジニアを5年以上やった方、或いはエンジニアとして外国人と関わり合いになって仕事をした方は、そんなことは言いませんよ。日本人は信じられない程にナーバスで繊細なクオリティを絶対に不可能な工程表で実現する。いや、白人は出来が80%だというかもしれない。オリジナルは5%だというかもしれない。しかし、英語や北京語、インド人も英語で通用するかなあ。それらの言語でガチ口喧嘩が勝てる自信のある方なら、商売やってみるのもイイ。工程表を守るのがクリティカルだって納得させるのにエラク工数がかかるから。
「顧客からすれば80%の出来では仕事をしたことにならない。」
前にも言ったんですが。拙僧は某大学の夜間講座を受けているんですよ。ジャンルは「ベーシックビジネススキルアップ」。拙僧は実質的に10年くらいヒモをさせて頂いたんですが、そろそろちゃんとした仕事をしたいと思っていましてね。それで、少しでもビジネス人としての感覚が戻ればいいと思いまして週一で通っているんです。それで元ITエンジニアで現中小企業診断士の講師がそう言うのですわ。なんでそんな話になったかというと、拙僧が「もう、年収600万円以上の仕事はしたくない。80%の出来の仕事を半値で受けようかと思っている。喰っていくだけなら、妻のサポート(要は家事ですな)だけでもイイわけだし。」と、いつものマナーの悪いことを言ったからなのだが。でもねえ、その顧客の中小企業の社長さん。初めに出した見積もりで納得して契約したかねえ。2割くらいは値引きしたんじゃないの?そしたらクオリティは2割減になるわなあ。物理的な話だよねえ。
一方で、その講師さんは
「今はソフトウェアもフリーウェアが多く、複雑なソフトも極端な話、タダで手に入ります。」
と仰る。いや、別に講師さんに異論があるわけではない。でも、タダで手に入る基本ソフト、つまりOSとかDBとかワープロとか使ったらオリジナリティもへったくりも無いよねえ。さっき、PCレベルのDBアプリはJavaだって言っていたけど、それも基本的にはタダなんでしょう?実際のところ、ネット時代というのはコピー、いや語感が悪ければ流用で成り立っているのだ。既存の有りものを使って安く仕上げる。或いは工程表通りに仕上げるのだって、立派なオリジナルのノウハウだ。鉄道が3分おきの時刻表を守るなんて、日本以外に考えられらないな。白人でもアジア人でも概念が伝わらないから説明にエラク手間取るはずだ。
フジフィルムが世に送り出した「写るんです」のお蔭で、フィルム文化はかなり延命できたはずだ。いくら500万画素級のデジカメが500円で転がっていて、2GBのSDカードが380円で売っていても、今でも「レンズ付きフィルム」で肝心のお孫さんを撮る方は多い。こういう方々には、ロモ系の隣人と共に我々のようなへそ曲がりも敬意を示すべきではないかな。
簡便なボディにフィルムを詰めて、ボディを回収してネガとプリントを返して別料金を徴収する。そういうシステムはコダックが始めたとされているが、それって19世紀の話だしなあ。「レンズ付きフィルム」のアイデアをコンシューマに実現したのはフジフィルムの功績と言っていいのではないだろうか。勿論、既にフィルムのラチュードや広角レンズの被写界深度を利用した「使い捨てカメラ」寸前の代物は存在したのだが、それにフィルムをオフセットしてサイクリックなビジネスモデルとして踏み切ったのは、やはり大メーカーとしての度量が大きかったのだろうな。光学機器メーカーなら二の足を踏むところだ。そういう意味ではデジカメの黎明期に、画質は兎も角として100枚近い画像を撮影出来て、その場で再生できるQV-10を送り出したカシオの成功と重なる。あの画像じゃ伝統的な光学機器メーカーなら、恥ずかしくて「カメラ」として売れないよなあ。
そういうわけで、コダックが作った「写るんです」のコンテンツもご覧いただきたい。
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