今宵はセガに想いを馳せて。
現在、とあるトイデジカメのコンテンツを作成しているのだが、どうもゲーム(TVゲーム)についての昔話に発展しそうなので、独立したブログとしてまとめさせていただきたい。
「トイデジカメ」というジャンルは今でも存在するが、携帯のカメラ機能から飛ぶ鳥を落とす一眼デジカメまで、「トイ(デジ)カメ」モードを搭載するから、ワザワザ「単品」のトイデジカメを購入するのは手間である。そもそも、初期のデジカメは「トイ」そのものだから、「トイデジカメ」というジャンルが成立するには「ちゃんとしたカメラとして使いにものになるデジカメ」の登場を待たねばならない。現代に続くデジカメの直接的な祖先とされるのが、1995年に登場した、カシオのQV-10である。その社内の不遇な生い立ちからの逆転劇はNHKの「21世紀スペシャル」で有名だ。その撮像素子は25万画素級と、今ではちょっとしたジョークのようなアンダーパワーであった。しかし、当時の貧弱な通信レートでは、その程度のサイズの画像の方が何かと都合がよかった。ワードの文章ファイルですら、分割して送信した時代なのだ。そんな1996年の末にゲームメーカーのセガからDIGIOというデジカメが登場している。ゲームメーカーから登場したデジカメだから、「トイデジカメ」の初期の形と位置づけることができそうだ。いい機会だからセガについて小首を傾けてみよう。ゲームを題材にしたディズニーアニメもやるそうだし。
セガを我々が認知するようになったのは「ハングオン」であろう。これは「オートバイ・レースゲーム」で、単車に似せた筐体にまたがって筐体を傾けると、その角度に応じてディスプレイ上のマイマシンが曲がるという代物だ。当時のセガといえば、「スペースハリアー」にしろ「アフターバーナー(イギリス人はリヒートと呼ぶのだろうか)」にしろ、大型筐体と、どこかアメリカンな雰囲気を彷彿とさせた。「ハングオン」が登場したのが拙僧が小学生高学年か中学生の初めの頃だと思うのだが、その数年前までゲームセンターはナムコの王国であった。ナムコの代表作と言えば「パックマン」だろう。まるで古の平家のように「ナムコでなければゲームではない」と囁かれ、結構つまらないゲームでも「ナムコだから」というだけでキャロットでそこそこ販促品が売れる始末だったのだ。うわあ、キャロット懐かしいなあ。キャロットでも巣鴨店は別格だとされており、我々地方のナムコファンはこぞってドラゴンバスター(傑作)のTシャツとかワンダーモモ(駄作)のテレカを買いに参拝したものだ。今のアルプスやBOXと変わらないな。そのナムコと張り合うとされたのがセガだった。80年代の半ばからナムコ帝国も勢力に限りが出始め、コナミ当方グラディウス教会とかタイトー原理派とか戦乱の時代に突入する。戦局を大きく揺るがしたのはカプコンの「ストリートファイター2」だ。
「2」があるのだから無印の「ストリートファイター」もある。これは80年代の後半に登場した格闘系ゲームの走りで、縦型の大柄の筐体に十字キーとゴムに覆われた大型のボタンを2つ組み合わせたデザインになっている。操作系は左右の2系統に存在し、対戦ができるようになっていた。特徴的なのが大型のボタンで叩く強さによってパンチの強さを調節で来た。だから。初代のストリートファイターはストーリーとか細かな技というよりは「わにわにパニック」に近いストレス解消系のアクションゲームだったのだ。北米での評価は良くわからないのだが、多分、強く叩きすぎて筐体が壊れるとか、対戦で興奮した人間同士が本当のストリートファイトになったりとか、何かと問題が多かったと想像できる。日本では、やはり日本人には細かな調整が出来ない叩くボタンはイマイチ馴染めなかった。それに「リー」あたりから敵キャラが異様に強くなって、フォートレスの登場する「グロブダー」のように、予めチャージしていないと秒殺されてしまう、結構難易度の高いゲームだった。プレイヤーは「ケン」と「リュウ」しか選べない。段々、思い出してきた。「ストリートファイター2」、略して「スト2」も初めは大型ボタンの打撃の強弱でパワーを調節したと思うのだが、それだと繁用筐体に使えないから早い段階から「弱」「中」「強」の3ボタン制となった。カプコンとしてはサブモデルの位置づけだったと思うのだが、コントロール性が強まって爆発的にヒットする。それに選択できるキャラクターが格段に増えた。兎にも角にも唯一の女性キャラの「チュン・リー(春李?)」から筆卸しをして、「ダルシム」とか「エドモンド・ホンダ」でも勝てるようになっていったと思う。本格的に大爆発したのは拙僧が丁度、上京した頃で、その頃には奥手の拙僧も、ゲームやらパソコンやらソビエトの戦闘機やらから離れて、女性キャラではなく本物の「女子」とストリートファイトを目指すようになったから、その後の展開は明らかでない。
以上は業務用ゲーム、つまりゲームセンターで並んでいるようなゲームの話である。一般にはアーケードゲームと言われた。一方で、70年代後半からホームゲームが台頭する。初期にはゲームウォッチのような電卓タイプか、学研の「フロッガー」のようなVFD(蛍光表示管)でキャラクターを表示するアーケード版を小型化させたタイプで、何れも携帯が可能な卓上タイプだった。一方でブロック崩しやテーブルテニスのようなTVを出力先としたTVゲームが発展する。初期のタイプは複数のゲームを最初から内蔵していたが、画期的なのがエポック社の「カセットビジョン」であった。これは、本体を買っただけでは何もゲームは出来ない。別売りの「カセット」が必要なのだ。これはネットゲームが当たり前な現在では説明が中々むずかしいのだが、「きこりの与作」だの「バトルベーダ―」などのソフトが入った「ロムカセット」を挿入することによって件のゲームができる代物である。同じような形態はアタリやコモドールからも出ていたが、一定の市場を形成したのは「カセットビジョン」であろう。学術的には、カセットビジョンの「ロムカセット」にはROMだけでなくCPUも搭載していたから、後のニューカマーと比べると少々原始的な構成となる。このスタイルが爆発的に全世界的に展開したのは、言わずと知れた「ファミコン」こと「ファミリーコンピュータ」であった。
「ファミコン」が、どのように世界を席巻したのか、その要因は何だったのかは本稿では述べないことにする。家庭用ゲームというジャンルで金字塔を建てた「ファミコン」の成功の陰で、一向に日の当たらない存在があった。それが「セガ3」である。良く事情が分からない中で、うっかり「セガ3」を買ってしまった家庭の子供は悲惨だった。当時はゲーム機のマザーシステムをひょいひょい替えることなど難しかったから、「ロムカセット」を友人と貸し借りをすることも無く、辛酸を舐めていた。「セガ3」の何が敗因だったのか。それは実際に「セガ3」を手に取った方なら一瞬で理解できたはずだ。つまり、圧倒的に「セガ3」はへぼいのである。例えば「ファミコン」の「ロードランナー」と「セガ3」の「ロードランナー」を比べてみよう。「ファミコン」の方はフルカラーでユニークでカラフルなキャラクターが軽快なBGMと共に画面をスクロールして走りまわる。それなのに、「セガ3」の「ロードランナー」ときたら、キャラクターは「線画」でモノクロに毛が生えたようなもので、プレイヤーと敵キャラの区別も難しい。画面はスクロールせずBGMも無かった。セガの完敗だ。
その後、「メガドライブ」でようやく日の目を見るが、これは要するにアーケード版のセガのゲームを供給できるのはセガのマザーシステムでしか不可能だったからだ。つまり、「ファンタジーゾーン」とか「スペースハリアー」とかは「メガドライブ」でしか実現できなかったのだ。それに「スーパー大戦略」の効果は大きかっただろう。何故か「大戦略シリーズ」は任天堂や他のマザーシステムには供給しなかった。
「メガドライブ」の効果は限定的で、「ファミコン」の牙城を崩すには至らなかった。しかし、今でも「アンチ48」がいらっしゃるように、「アンチおニャン子」も確実にいた。その後もセガの兆戦は続き、「セガサターン」や「ドリームキャスト」を投入するものの、ついにメインラインに乗ることはできなかった。むしろ、セガが自社のマザーシステム供給断念を発表した途端に株価が急上昇した位だ。市場はセガのゲームを望んでいたが、マザーシステムの方は全く関心が無かった。
拙僧も「竹本泉」のゲームがやりたくてセガを買ったことがある。どのマザーシステムかも忘れてしまった。結局、その1ゲームしかやらなかったなあ。
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